第561回番組審議会は、1月8日(金)に開かれました。
出席委員と当社出席者は以下の方々でした。
〔委員〕
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〔当社側〕 渡辺 克信 社長、北畠 宏泰 専務、 福田 正史 取締役編成本部長、 田仲 拓二 取締役(広報・ラジオ担当)、 山本 晋也 編成局長、藤岡 幸男 報道局長、 松田 安啓 スポーツ局長、田中 俊行 制作局長、 本城 謙三 広報局長、小関 道幸 事務局長、 北本 恭代 事務局員 |
<以下 出席委員の意見 要旨>
- 北朝鮮関連の報道番組、今回の番組を見ていて、特に工夫がされているなと思ったのは、「不都合な真実」というくくり方がしてあって、赤十字、日本政府、朝鮮総連、北朝鮮という、四者それぞれに不都合なことがあって、それがゆえにこれだけわからないんだという、そういう構図で描かれていたということで、また新しい切り口だと感じた。それと番組の最後のほうに、ABC調べで、実名で今も不明になっている人の名前などが出てくると、ひとくくりで「2万人が行方不明」と言われるよりも、一人ひとり、「ここにきっとそれぞれ人生があって、今どうしてるんだろうか」と思って、実名の持つ強さみたいなことを感じた。それと放送時間がすごい夜中で、せめて1時間ぐらい早くすべきだ。
- 「M-1グランプリ」は、今年10回記念で、大阪を愛する一市民の希望としては、「たまには大阪でもやってほしいな」と思った。
- ゴルフの、石川遼君の番組ですごいなと思ったのは、父親が「いつか勝てなくなって、人気がなくなったときに、自分でその次の生き方を見つけられるように」みたいなことまでおっしゃっていて、「おお!」と思った。
- 「芸能人格付けチェック」は、非常におもしろかった。あれを見て、人間の感覚がいかにいい加減かというのがよくわかったが、全体に言って長すぎる。3時間もあり、番組を引き延ばしているとしか思えないし、途中で、「ここまで見れば何とか意見を言えるだろう」というので、切ってしまった。
- BSと地デジとCSと、チャンネルがいっぱいある。どういうふうに番組を割り振られているのかなというのが、ちょっと疑問。
- メディアが多様化してきたときに、ユーザーをどういうふうに振り分けてしていくかということを検討されたら、少し教えていただきたい。
- 「ゆう+年末スペシャル」「子どものために何ができるか」ということを追求する番組では、その問いに対する答えが見いだしにくいとは思うが「こんなことをすればためになる」とか、どういうことをすればそれを防げるかなどを描いてほしかった。
- 水谷さんが神格化されすぎている。立派すぎてとても真似ができないなと思って、引いてしまうようなところがちょっと出てきているかなという気がした。
- 「夏の贈り物~年末スペシャル」甲子園というのは物語の宝庫で、たくさんのドラマがあるんだなということを改めて思ったし、菊池雄星さんに話題が集中していたけれども、いろんな学校にそれぞれのドラマがあった。
- 上方のお笑いみたいなものの発信力というか特徴が非常に落ちているんじゃないかなということが、気になる。東西のお笑いの区別みたいなものが非常につかなくなって、お笑いのローカリティがなくなっていることが、この年末年始テレビを見ていてちょっと残念だなと思った。
- また2009年を関西の視点で振り返ってみるとか、あるいは来るべき2010年を展望するとかいう、少しまじめな番組がしっかりあったらもっとよかったんじゃないか、そういうものが非常に少なかったことが残念だった。
- 「芸能人格付けランキング」この番組、視聴率は高いでしょうし、見ている分には大変おもしろいと思うが、格付けとかランキングとかいう発想そのものにかなり違和感を覚える。透明性の追求と、他方でランキング。大学ランキングとか企業の何とかランキングとか、あらゆるものがランキング化されて、ランキングと透明性の中で日本の社会も個人も身動きができなくなっている。そういう時代風潮の現れとして、ランキングとか格付けとか、こういう発想から抜けて何か番組を作ることができないか。
- 年末年始のテレビ特番で、スペシャルで2時間で、どこも全部一緒。同じスタイルで各局がやっている。お笑いが悪いんじゃないんだけど、どこをひねっても同じ芸人が出てくる。なにも在阪5局もいらないのと違うかって。経営がうまくいって、時代がいいときだったらいいんだろうけれども、こんなに厳しくなったときに、まだ同じことをやって、みんな右へ倣えをやっていることがいいのかな。「テレビがこんなに厳しい時代が来るとは思いもかけなかった」というふうに、皆さん危機感を持ってらっしゃる。その現場の危機感とこの「2時間スペシャルで作っておけばいいわ」というのとではものすごく乖離がある。
- 元旦の「志村&所の戦うお正月」からずっと「格付けチェック」まで見ていたが、だいたい時間が長すぎるなという感じがした。
「戦うお正月」では、二人のタレントさんが豪邸に入って勝手に引き出しを開けて、まあそれは許可を得てると思うが、宝石をチェックしたり、「あんなんありかな」という感じでやっていて、その値段の付け方もものすごく延ばしているだけとしか思えない。用事して戻ってきてもまだ値段が決まってない。 - 1月3日の夜明けの「新春クラシックスペシャル」私の取っている新聞で当日の番組表を見たら、ただ「音楽」と2文字しか書いてない。いい番組やのにうまく紹介できていない。
- 「戦うお正月」で、おみかんまるぐち投げるのならともかく、むいた房を投げていた。お正月だし、子どもも見てる。ああいうシーンはやはりやってほしくない。ものすごく行儀が悪いという前に、いやな感じを受けた。それが番組の終りのほうで、せっかくの番組が、タレントさんの一つのそんな行動だけでものすごく不快感を持ったので、食べ物に関してはもう少し厳しく扱ってほしい。
- 年末年始は、見るべきものがないということ。結局、テレビ局は何を考えているんだろう、特に「朝日放送、もうちょっと考えてよ」というふうなことを年末に思った。時間帯で他局ともっとすみわけをして、朝日放送はコンテンツを持ってるんだから、何でそのコンテンツをうまく差別化する方向で持ってこないんだろうということを、今回は特に強く思った。
例えばテレメンタリーなんかで番審の中でも非常に評判がいい、そういうのをお昼間の時間帯であるとか、あるいは本当にゴールデンに、テレ朝の反対を押し切って流すことは難しいのか。だから、ABCが持っているコンテンツを考えると、ものすごくはがゆい思いをした。 - 若者の心をとどめるには、断片視聴の断片をプラスに生かすには、じゃあどうしたらいいんやろうとか、どういう番組の形態ができあがるんだろうとか、色々実は切り口はある。例えば新聞との一体で何が新しい形として提案できるんだろうというようなこと。
- ABCの二人の報道プロデューサーの番組を取り上げたい。
一つは石高Pの「命の海峡」。この番組を評価したいのは3点。第1点は、社会主義国家のユートピア幻想。第2点は、メディアが実態を見抜けなかった、いわゆるプロパガンダに乗せられたということの反省を番組でしている点。第3点目が、石高P独特のヒューマンな取材姿勢。この3点に番組の素晴らしさを感じた。 - もう1人の牟田口Pは、番組をアーカイブとして保存版として作っている面もあるんだろうけれども、彼は彼なりにストーリーを盛り込んでいると思う。ロマンだ。
例えば今回の番組で言うと桂離宮と修学院離宮、この番組の美しさは、平板で見せるんじゃなくて、歩く人の目線で見せた。だから作り手がそのデジタルハイビジョンの技術を十分こなすかどうかというのが課題なのだが、この番組に限って言えば、非常にうまく使いこなしていたなと思う。 - こういう二人のいい作り手を朝日放送は抱えているので、これは一つの財産だと思う。
以上