第631回番組審議会は1月20日(金)に開かれました。出席委員と当社出席者は以下の方々でした。
〔委員〕 |
〔当社側〕 |
審議課題
平成28年度文化庁芸術祭参加作品『勇鯨(いさな) ~揺れる太地町~』
<事前視聴 2016年11月19日(土)午前4時31分~5時20分放送>
番組の良かった点
- 反捕鯨団体の日本に対するバッシング問題の深刻さを、改めて浮き彫りにする番組。クジラ漁をやめさせようとする側、続けようとする側、それぞれの真意が伝わってきて、相互理解がいかに難しいかということを感じた。だからこそ、こういう番組で広く人々に問題を投げかける必要があるのだろうとも感じた。
- よくできたドキュメンタリー番組。元漁業組合長の複雑な本音の部分をしっかり引き出していた。なかなか発信できなかった人たちの思いや考えをそのまま伝える方が、訴求力があるという意識で作られたのではないか。
- 元漁業組合長が、飼っている猫たちに餌をやる場面にグッときた。「偉そうにいわれへんわなあ、わしらはクジラやイルカを殺してるねんから」と言いながら。罪悪感を持っていらっしゃる、その本音の姿がよく取材で出ていた。
- 元漁業組合長の「(クジラ漁を)認めてくれなくても良いから、否定しないで欲しい」という切実な言葉が一番心に残った。真実を発信することが決してたやすくない時代に、それでも真実を伝えようと努力する人々がいるということを、この番組で改めて痛感した。
- 人の営みとか命に対する思いとか、怒りとかやるせなさとか悲しみとか、生きていくのはどういうことなのかというようなこと、私たちは当事者ではないが、クジラを食する機会のある者が積極的には触れようとしないこの問題に、静かに誠実に向き合おうとした良い番組だと思った。
- 人は生きていく上で残酷なことをいっぱいしている。善悪の判断を誰がするのか、解決策はどうしたら良いのか、難しい問題。真実を伝えて欲しいという期待感を漁師たちは絶対持っているわけで、彼らの苦悩や思いを発信することが今回の番組の使命だと思った。
- 漁師の側の思いをそのまま等身大で出したいという意図をすごく感じた。ディレクターには思い入れがあっただろうが、そこを極力抑えて、漁師に寄り添いながらも、決して同化はしないという意識が働いていたのではないか。
- ドキュメンタリー番組は作家性が際立つもの。「誰が作ったか」が前に立つもの。今回は、ディレクターが番組で自ら顔を出し、自らの父親のことも語りという形で、前に立っていた。前に立つということは、今後様々なところから意見を求められる“覚悟”を持って臨んでいるのだなと感じた。
- 取材から5カ月目にようやく漁の同行取材が認められたというシーンが出てきたが、相当長いスパンで計画を練って取材交渉しないと、こういった番組はできない。しかも大阪から特急で4時間、自動車で行くにしても高速もないエリア。大変な根気と粘りが要る。また、そこを認める会社でないとできない仕事だと思った。
- 我々は近代の暮らしの中で色々なものを見えなくしてきた。牛の屠殺でも、ちゃんと安楽死させているが、それは見えなくて、スーパーで売っている商品でしか命は見えていない。今回の番組は、敢えて見えないものを見せようという姿勢で制作されている。一方で、YouTubeで世界の動画を見れば、日本とは全然違うモラルのものが見られる時代。それらと併せて深い問題提起だと思う。
- 出せば叩かれる、何かいわれる、だから出さないというその繰り返しによって、お互いに理解しようとする意思、対話しようとする気持ちが失われていき、結局ツイッターの140文字だけになってしまう。それでは人間は語れないだろう。そういうことを考えさせ、理解しようとする気持ちは姿を見せることから生まれるというドキュメンタリーの本質を突いた番組。
番組の課題
- 放送時間が午前4時半からというのは、私たちは見たが、皆は見ていないだろうなと思った。力のある作品だったので、もったいないと思った。
- 反捕鯨の人が何故「捕鯨がだめだ」と言っているのかがもう一つわからない。「死ぬところを見たらかわいそう」とか、そんなのたいした理由ではないと思う。皆がかわいそうだと思っている。太地町の人だって絶対かわいそうと思っている。そこは一緒。番組としては、最初に反捕鯨側の理屈をもっとしっかり見せておく必要があると思った。
- クジラでも、牛や豚や鶏等でも、命をいただくということに関しては同じだと思う。反捕鯨団体は、それらの違いをどう考えているのか、知りたいと思った。
- 太地町に抗議に来ている反捕鯨の人たちが皆、シーシェパードかと言うと、そうではないだろう。そこはこの番組で掘り下げるものではないとしても、十把ひとからげで良いのかと思った。「イルカが殺される鳴き声を聞いて涙が出た」と語った人は、どういう思いを持ってわざわざ来ているのだろうか。
- 取材者として画面に映っているディレクターが太地町にルーツを持つため、視聴者、特に反捕鯨側にどのように伝わるのかは気になった。
- 今回のように意見が分かれている問題は、番組を見た人の判断に委ねるしかないし、一方的な価値観を押しつけることをしてはいけない。そういう意味でも、もっと太地町側の発信が必要だと思った。番組では、イルカと触れ合う場面や供養祭を紹介していたが、そういうものをどんどんメディアに出していくべきだと思った。
- 『万葉集』には、「鯨魚(いさな)」を詠んだものが12首あり、日本人はその頃からクジラを食べるのが普通だったが、一方で命をいただくことに対する敬虔な心も持っていた。太地町の漁師たちも供養祭を行っていた。そういうことをちゃんとしているというのをもっと打ち出しても良いのではないか。
- クジラ漁は文化だとか、伝統だとか、遺したい等と言うからいけないと思う。これを食べないと生きていけないと思えば殺すわけで、普通の人たちが普通の生き方をして、その生活の一部だということをもっとしっかり見せないといけない。
- ドキュメンタリーはディレクターの思いが出るもの。もっと自分の気持ちをしっかり出した方が良かった。淡々と流しているだけになっている気がした。もし、私がディレクターなら、「反捕鯨も、捕鯨も、考えていることは一緒ですよ」と訴えるだろう。
- 弁護士として違和感があった。太地町の漁師たちは何も違法なことをしていないのに、反捕鯨の人たちが押しかけ、漁に行くのを止めようとする場面は完全な業務妨害。違法行為が目の前にあるのに、淡々と報道しているだけで良いのだろうか。
- 地域産業を守ろうという行政の取り組み等、一所懸命やっているのだろうが、見えないところがあった。警察は結構頑張って、反捕鯨団体の活動に対し、軽犯罪法違反や迷惑防止令違反で警告していた。もっと取り上げて、「あんたら、やり過ぎよ」と問いかける部分が欲しかった。
- JAZA(日本動物園水族館協会)が去年、追い込み漁で捕獲したイルカを購入するのを止めたのは、「反捕鯨団体からの圧力のため」と番組で紹介していたが、正確にはWAZA(世界動物園水族館協会)がJAZAに対して購入をやめるよう通告を行ったから。つまりシーシェパードにしても国際問題を含めて絡んでいる。視聴者からすると、問題の構造が少し単純化され過ぎているのではないかと思った。
- これはある意味、マスコミによる悲劇だと思う。静岡や伊豆でもクジラを獲っていたが、誰も何も言っていない。何で太地町にだけ言うのか? 『ザ・コーヴ』という映画があり、話題になったからだ。番組でそのことをもっと言うべきではなかったか。
その他
- クジラとイルカの差は大きさの違いだけということに衝撃を受けた。私はイルカが好きで、イルカを食べるというのは考えたことがなかったので、反捕鯨の気持ちの方に揺れた。
- 山梨県では冬になると、「若嫁は腰巻きを質に入れてでもイルカを食べよ」という言葉があるくらい、伊豆半島で獲ってきたイルカを食べる。風習や食生活の違いは、生活と結びついている一つの伝統。それらが絶えていくことになるととても寂しい。
- 漁師からも反捕鯨団体からもマスコミが嫌われているというシーンが何度か出てきた。そういう時代状況になってきている中で、どうやって信頼をつかみ、ちゃんと報道していくかということを改めて感じた。
番組制作側から
- 番組の構想が生まれたのは1年半近く前。その頃、太地町の漁師から女性ディレクターに『1年間密着取材するのだったら取材を受けても良い』という打診があった。ディレクターは、自分の父親のルーツがこの町にあったことから、この現状を何とかしなきゃいけない、漁師たちの思いをちゃんと伝えたいと考えていた。太地町の漁師たちはマスコミにものすごく不信感を持っていたが、徐々に心を開いてくれ、「本気でやるのだったら受けても良い」ということになった。
- この問題を扱うに当たって、番組としての立ち位置をどうするかかなり悩んだ。そこで、ディレクターの故郷がどうなっているかというのを本人が語る、そこには善も悪もないという立場でやろうということになった。
- 淡々と描き過ぎたというのは構成の問題だと思う。事実を一つひとつ積み重ねていって番組にするのだが、構成を間違えると絵日記風になってしまう。今回は若干、絵日記風になっていたかも知れない。
- 今、長尺のドキュメンタリーを作る環境は難しくなってきている。特に長期取材。芸術祭クラスの番組となると構想10年というのはザラだが、今の環境では難しい。また作り手の空洞化の問題もある。問題意識を持って一つのテーマに当たるという記者、ディレクターを育てなければならない。
- ドキュメンタリーで視聴者の心がざわつくコンテンツというのは非常に発信力が強い。地上波以外でも色々な場面で使っていく工夫をしていかなければ。最近、ドキュメンタリーの映画化がよくあるが、今後そういうものも視野に入れて、いかに作っていくかというのが我々に突きつけられている課題の一つ。
以上