第605回番組審議会は5月9日(金)に開かれました。出席委員と当社出席者は以下の方々でした。

〔委員〕
井野瀬 久美惠 委員長、酒井 孝志 副委員長、
道浦 母都子 委員、星野 美津穂 委員、
橋爪 紳也 委員、淺井 栄一 委員、
高見 孔二 委員、小松 陽一郎 委員、
池内 清 委員、水野 由多加 委員

 

 

 

〔当社側〕
脇阪 聰史 社長、
松田 安啓 常務取締役、梅田 正行 取締役、
岩田 潤 編成局長、太田 充彦 広報局長、
田中 徹 ニュース情報センター長、
藤田 貴久 報道企画担当部長、
西村 美智子 ディレクター、
戸石 伸泰 事務局長、野条 清 事務局員、
北本 恭代 事務局員

審議課題

テレメンタリー2014「看取りの家~終の住処を求めて~」
<事前視聴 3月23日(日)午前5時20分~5時50分放送>

番組の良かった点

  • 人が亡くなる場面(舞台である終末期シェアハウスでの入所者の臨終場面)をテレビで見たことは、少なくとも私の記憶にはない。撮影者は、ご本人、その娘、その瞬間には来られなかった妻らとの間に絶大な信頼関係を築いたからこそ撮影できたのではないか。取材者の極みだと思う。
  • 臨終の場面にカメラが入れたのは、ディレクターが一人で撮影したということと、ディレクターが女性であるということが大きかったと思う。女性だと、何かわかってくれるかも知れないということがあったのではないか。
  • 自宅で終末を迎えたいと思っても、家族がいなかったらそうはいかないし、家族がいても迷惑をかけてしまう。すると世話をしてくれるところへ行くしかないが、病院からは放り出されるという。この終末期の問題をきちんとクローズアップしたのは、すごい視点だと思う。
  • 終末期におけるターミナルケアのあり方、それから「人間としてどう生きていくのか?」という意味での「クォリティ・オブ・ライフ」をうまくミックスさせた志ではなかったか。
  • 「死に場所難民」が20万人もいるというのに、舞台である終末期シェアハウスは3~5人しか受け入れられない。番組を見た私たちが考えなければいけないことだが、そういう意味でボールを投げてくれて良かった。
  • 昔は自宅で亡くなるのが当たり前で、いつの間にか病院で亡くなるのが当たり前になって、それがまた医療費の問題などで、国が在宅へシフトさせている。ところが、現実には、高齢化、核家族化の中で、自宅で最期を看取ることはほぼできない。その混乱をその通り描いている。
  • 番組でいっていた「在宅で終末を迎えるのが国の方針」について知識がなく、いつそんなことが決まったのだろうと思いながら、悩むべきことが多くあることが良くわかった。
  • 人間にとって最期のところで「幸せやったなあ」と思えるような税金の活かし方がもっとあっても良いと思った。そういう訴えをする政治家がいれば良いと思った。それもこの番組の一つの成果だと思う。
  • 我々は親を見送る年代になっているので、とても切実に感じた。30分間は短いと思ったし、色々な意味で啓蒙された。自然な形の映像で、それぞれのシーンに意味があるようにできていて、すごく納得できた。
  • 母が昨年亡くなった。どこで死んでもらうか、かなり悩んだ。病院は追い出されるし、結局、介護施設で亡くなったが、人が死ぬ時、色々なことがあるのだと思い知った。皆、知っているようで知らない。そこを見せてもらっただけでもものすごく良いと思う。
  • 父が3年前に95歳で亡くなったが、病院で胃ろう(胃に直接食物などを送るための管を通す手術)をするかどうかで随分やりとりがあって、「しないのなら退院してください」といわれた。父は動けないし、家族でどうしようかと悩んでいる間にたまたま亡くなったが、肉親でも難しいことを主人公のナースが個人でやっていることをすごいと思った。
  • 主人公のナースが、終末期シェアハウスの仕事について、「好きなんだよね」「入所者には私を見て欲しい」と語った言葉が印象的。彼女の志の崇高さを感じた。この番組によって、「私もやってみようかな」という風に輪が広がったら良いと感じた。
  • 終末期シェアハウスでの手作りの食事のエピソードが極めつけだった。家で作られた手作りの食事の温かさとやさしさ、それがうまくリンクしていた。たくさんの大変な人たちを看てこられた主人公のナースの心意気が集約されていると思った。
  • 一般的にターミナルケアの中の精神的なケアというのは、宗教的なところに依るのが世界標準だと思われるが、舞台である終末期シェアハウスではどうだったのか。もし宗教色が全くないのであれば、なかなか例のないことではないかと考えさせられた。

番組の課題

  • 舞台である終末期シェアハウスは主人公のナースが一人で運営しているが、常に疲れた顔をしているし、コスト的な面も含め、あまり持続可能的には見えない。それをどうとらえているのかがわかりにくい。
  • 主人公のナースは本当に奇特な方で、彼女一人でまともに寝ないで看取って、迷いながらもこれが良いと思ってやっている。しかし、介護会社の社長をしている事業者側の立場からすると、ああいうやり方は続かないと思った。安全な介護を継続することは無理で、介護事故が起こった時に誰が彼女を守るのかと思った。
  • 終末期シェアハウスで亡くなる入所者の男性を近い将来の自分の姿だと思って見た。そうすると、臨終に立ち会わない妻のことがよくわからない。冷たいのではないか、私の妻もこんな風になるのかと思った。
  • 終末期シェアハウスに、夫の延命治療をしない看取りをまかせた妻がどういう人なのか、もう少し知りたかった。覚悟を持った尊厳死論者なのかとか、公正証書に署名しているのだろうかとか。
  • 舞台である終末期シェアハウスを運営するナースという軸と、そこで亡くなる入所者という軸の二つがあるのだが、どちらかにもっと重点を置いた方が良かったのではないか。
  • 終末期に病院で行われることと、終末期シェアハウスとの間に何がどうあるのかというのが少し疑問だった。つまり病院で人工呼吸器などの管が入れられてしまうと、終末期シェアハウスには来られないだろう。どの段階の人たちを受け入れているのかも知りたかった。
  • ターミナルケアつまり緩和ケアの問題が気になった。緩和ケアをした方が良いのかどうかが大問題で、モルヒネを使えば痛みは楽だが、意思疎通ができなくなる。今回の入所者が緩和ケアをしているのかどうかわからなかったが、家族に突きつけられる大問題なので、そこも取り上げ欲しかった。
  • 「この終末期シェアハウスの料金が1日1万円」とか、「こういう施設は、どのくらいどこにあるのだろう?」ということが気になった。ゆくゆくは世話になるかも知れないと思って見たから。ところが東京都三鷹市の話とわかって残念だった。関西の有意義な情報も伝えて欲しい。
  • 大きな課題を投げかけられた。考えさせられたが、結局わからないことだらけだった。一番わからなかったのは「死に場所難民」が20万人いるということ。その人たちは、入院を拒否されたのか、それとも自分が拒否しているのか? 
  • 今、病院と介護施設と自宅以外で亡くなる人が2.3%いるという。家賃を払えず家を追い出され、簡易宿泊施設で亡くなるとか、そういう人がいっぱいいる。今回の番組は「こういう亡くなり方がありますけど、皆さんどう思います?」で良いのだが、もし第二弾をやるのなら、そういう問題にも分け入ってもらいたい。
  • 「死に場所難民」というのは、基本的に突然その状況に追い込まれて、慌てるので難民化する。早い段階で選択肢が示されていれば、自宅で最期を看取ることもできる。マスコミも含め情報が十分出ていないことが、「難民」という言葉の本質だと思うし、そこをもっと問題にするべきだ。
  • この番組を見て、皆が死について、家族で「どうするねん」という話をしていかなければいけないと思った。そういう意味で、この番組は朝の5時台にはもったいないし、家族で見られる時間帯に放送して欲しかった。
  • 今回のテーマは、少子化で看取る人が減っている中で非常に大きな社会問題だと思う。今回の番組だけでなく、色々な番組で情報発信していくということも考えて欲しい。
  • 問題提起し続けることが一番大事と思った。制作し放映した番組を受けて、さらにどう続けていくかということが一番大事で、色々なものを見せ続けて欲しい。「民放が持っている力」「ドキュメンタリーで民放が見せられる力」はその辺りにあるのかとも思う。

番組制作側から

  • 今回の番組では取材と撮影を全て一人の女性ディレクターが行ったため、特に客観性を保つように心がけた。また、死生観や看取りのあり方は人それぞれなので、意見を押しつけるような番組にしないことを心がけた。むしろ番組を見た人が、自分や家族の場合はどうだろうかと考える余白をもたせながら番組を紡いだ。
  • 舞台となった終末期シェアハウスのように24時間入所者の介護をするという施設を3年間探し続けて、なかなか見つからなかった。尼崎市にヘルパーたちが通いで運営しているシェアハウスがあり、そこを取材している時に、偶然今回の主人公のナースに出会った。彼女は今回の終末期シェアハウスを立ち上げる直前で、見学に来ていた。それから連絡を取り合い、取材が始まった。
  • 入所者の妻が臨終の場面にいないということで、冷たく映るのではないか、そう思われたくないからどうしたら良いのか色々考えたが、看取られる男の立ち位置とほぼ看取ることになる女性の立ち位置で、全く見方が違うし、感じ方が違うということに気付いた。そこで、その部分も考えて欲しいと思って、敢えてありのままを映した。ちなみにこの妻は、面会に来た時には、数時間にわたってずっと夫の体をさすり続けていた。
  • 「死に場所難民」は、病院で最期を送れなくなったことから発生するようになった。病院は治療する場所であり、例えば末期ガンで有効な治療ができなくなった患者は、今は退院させられる。ナースやヘルパーたちは、そういう方々の残された日々をどうやって自宅で過ごさせるかで、てんやわんやしているのが現状。また認知症で、経済的に有料老人ホームに入れない場合は在宅になるが、介護してくれる人がいない。そういう場合も「死に場所難民」の定義に含まれると思う。
  • 「死に場所難民」の問題は既に他局で番組化されている。しかし当社は、当社独自の、他局がやっていないことや、新聞、雑誌などでは伝えきれないことを伝えることに意味があるのではないか。そういうことに果敢に挑戦することが、民放のドキュメンタリーの一つのありようなのかということも考えて制作した。
  • 今回の番組の基になったのは、超高齢社会に私たちはどう向き合って、どう備えたら良いかという問題。今回の番組を一つの出発点にし、女性ディレクター一人に孤軍奮闘させるのではなく、報道局として、「キャスト」などの報道番組でも取り組んでいきたいテーマ。

以上