第628回番組審議会は9月9日(金)に開かれました。出席委員と当社出席者は以下の方々でした。

〔委員〕
井野瀬 久美惠 委員長、酒井 孝志 副委員長、
道浦 母都子 委員、星野 美津穂 委員、
淺井 栄一 委員、高見 孔二 委員、
小松 陽一郎 委員、北川 チハル 委員、
古川 伝 委員

〔当社側〕
脇阪 聰史 社長、
松田 安啓 常務取締役、緒方 謙 取締役、
岡田 充 編成局長、木村 光利 コンプライアンス局長、
星 信幸 ニュース情報センター長、佐藤 裕和 報道課長、
嶋田 一弥 ラジオ編成業務部長、
戸石 伸泰 事務局長、北本 恭代 事務局員

審議課題

テレビ朝日系列の報道について思うこと・望むこと

選挙報道――「知る権利」に奉仕しているか?

  • 参議院選挙と都知事選挙が続いたからだろうが、報道が政治にどこかで利用されている感じがする。特に小池百合子新都知事の場合は、マスコミを巻き込むやり方がとても上手だと思った。
  • 当選確定の早さと正確さを競う「当打ち競争」を中心とした国政選挙投開票当日の選挙報道のあり方に対しては、これで良いのかという視聴者の意見もある。投票が終わった直後に当確が出てしまうことへの素直な疑問もある。選挙報道のあり方というのは、まだまだ考えていく余地があるのではないか。
  • 2014年の衆議院選挙前にTBSの『NEWS23』に出演した安倍晋三首相が、アベノミクスに対する街の声について、「意図的に編集されている」と怒って、自民党から番組の公正・中立の確保を求める文書が出た。その年の衆院選に関連するテレビ全体の放送時間は、小泉劇場があった2005年に比べて78%も減った。今年の参議院選挙に関しては、2010年の参院選に比べて37%減り、前回の2013年に比べて16%減っている。
  • 2014年の自民党の公正・中立の申し入れの話や今年の高市早苗総務大臣の停波発言等があると、テレビ報道は自粛、萎縮していないのかも知れないが、視聴者にはそういう風に見えてしまう。
  • 舛添要一前都知事の問題、及び都知事選挙に至る経緯等が全国に詳細に報道された。地方で同様の出来事があっても、あれほどの時間を割くことはないのではないか。東京都は国政なみという判断が放送局側にあるのだろうが、地方の視聴者としては、東京都知事の交替をめぐる一連の報道は異様に手厚いように思えた。
  • 都知事選挙に関するテレビ報道に関しては、政治的公平を欠いていた可能性があるようにも感じる。テレビ朝日系列でも、21人の立候補者の「7分の1」に過ぎない「主要3候補」の動向にのみ、多くの放送時間が割かれていた。「7分の6」の候補者の主張が、ほぼ無視された形である。1人平均約20秒であるが、『報道ステーション』で、全員の主張内容を報じた点が、かろうじて評価できる程度である。
  • 知名度の高い「主要候補」の動向だけではなく、それ以外の候補者であっても独自の政策や、重要な論点の新たな指摘があれば、できるだけそれらを伝える努力をするべきだと考える。また視聴者の「知る権利」に奉仕し、なおかつ報道の中立性を担保するためにも、数名〜10名程度の本格的なテレビ討論会を実施するべきではなかったか。候補者の主張が報道するに値するかどうかを判断するのは、最終的には視聴者であると考える。
  • Webでは、より多様な候補者の情報を伝えようとする姿勢が顕著であった。たとえば「ニコニコ動画」では、12人の候補者の街頭演説「第一声」を動画で見ることができ、また5人による候補者ネット討論会も実施された。さらに六本木ニコファーレでの「ネット演説会」では、全候補者の8割にあたる17人が登壇、4時間にわたる演説会が行なわれた。放送局も、それらと連動することで、時間の制約を意識せず、この種の試みを行なうことは可能なはずである。

キャスターとコメンテーター論

  • 『報道ステーション』はキャスターが代わり、番組が丸くなった気がする。視聴者としては色々な意見を聞きたいし、ものの考え方を聞いて判断しているところもある。そういう意味では、以前に比べ主観的なところがだいぶマイルドになったという感じは受けている。
  • 『報道ステーション』の新キャスターは、以前から番組で取材をしていたアナウンサーで、誠実でフレッシュな感じがする。一方で自分の個性を出すとか、強烈な自分の主張を出すところはあまりない。ただ番組ではコメンテーターを必ず呼ぶので、誰を呼んでどんな話を聞き出すかというのがとても大事。そこを興味深く見ている。
  • テレビのニュース番組にコメンテーターって要るのだろうか。総合的に何でもしゃべれる人なんていない。10~20人のコメンテーターを番組が抱えて、それぞれ専門の話をしてもらうというならともかく、一人で全ジャンルにわたってしゃべれるわけがない。
  • ニュースというと、印象に残っているのは『JNNニュースコープ』初代キャスターの田英夫さん、NHK『ニュースセンター9時』のキャスターだった磯村尚徳さん、『ニュースステーション』の久米宏さん、『報道ステーション』の古舘伊知郎さん。彼らに比べると今のニュース番組は、個性がない、迫力がない、面白くない。この辺りで『報道ステーション』も新機軸が欲しいと感じる。
  • テレビ朝日系列の報道番組を意識して見てみると、同じ事件についての同じような内容の報道でも、1日の時間帯に合わせて伝える工夫がされていると感じた。例えば朝のニュースはゆっくりはっきりした口調で、昼はコンパクトにきっちりと、夜はじっくりという感じで、活字ではない、人が語って伝える、話術を駆使して伝えることの魅力を感じた。
  • 人が画面に姿を見せて語るということは、どうしても語り手の内面というか、キャラクターもさらされてしまう。例えば痛ましい事件の報道について、そぐわない表情や声のトーンに接してしまうと不快に感じる。反対に、適度な人情味が感じられると心地良くなり、これからもその人から情報を知りたいと思うようになる。そういう意味で、報道する側のキャスティングはすごく重要だと思った。
  • 『選挙ステーション』での安倍晋三自民党総裁と富川悠太アナウンサーとのやりとりは、見ていてハラハラした。今年初めて選挙に参加した長女も一緒に見ていたが、「どうしてこんなに実りのない会話をするのか」と不快に思ったようだ。同じ質問でも、もうちょっと投げかけるボールとか矢みたいなものを複数用意しておけば良かったと感じた。
  • 『選挙ステーション』での安倍晋三自民党総裁と富川悠太アナウンサーとのやりとりと、他局の選挙番組のキャスターを務めた池上彰さんとのやりとりを比べると、やはりそれなりのベースのある人、機転がサッときく人でないと、なかなか生のニュースのメインキャスターは難しいのかなという気がする。
  • ニュースとか報道をきちんと扱える人材の育成は各放送局でどうなっているのだろうというのが、実はとても不安に思った。これは一朝一夕ではできない。育てていかなければいけない。

報道におけるディーセンシーとは?

  • 報道といえば取材の自由の問題があるが、そこに「ディーセンシー」つまり「品位」がなくなってしまうとだめだと思う。その典型が、被災地で問題とされた取材。テレビ朝日系列の報道は、そこをきちんとやっているということを明確に打ち出して欲しい。
  • 弁護士として東京地方裁判所に行った時、ちょうどある俳優の覚醒剤事件の裁判の日で、裁判所の前に車がいっぱい、記者がいっぱいで私たちが通れない。建物内も、彼の裁判が始まる直前、取材記者約20人が廊下に直接座っている。品位がない。取材の自由を振り回している。
  • 犯罪報道で、有名人だからといって何で容疑者の親に取材するのか。容疑者が未成年だったらともかく、前の夫とのことにまで言及したりして、「君たちにそんな権利があるのか!」という気持ちになる。そういうことも全部ひっくるめて「取材の自由」が与えられているのだから、それを適正に処理していくというコンセプトを、少なくとも朝日放送は持ってもらいたい。
  • 都知事選挙になる前の舛添要一前都知事に対する報道が行き過ぎだと思った。別に舛添前都知事を擁護するわけではないが、辞めさせることが目的のような報道で、イジメの構図と一緒だと思った。そういう報道を見ると、やられた側への同情が出てくる。何でも行き過ぎると、違うように伝わるということを感じた。
  • 番組を作る時に、「視聴者目線」という言葉をよく使うが、最近は「視聴率取りたいだけ目線」になっていないかというのが、報道についてもものすごく気になっている。その先にあるのは「考えないメディア」。いったい自分たちは今、何を伝えなければならないのかということを考えない。

圧力と感じられない圧力も歴史上存在する

  • 報道に望むことといえば、事実を中立で公平で早く正確にわかりやすくというのが基本だ。しかしテレビを見ているだけでは、それができているのかどうかがわからない。それくらい私たちは、当然それが事実だと思ってニュースを見、それによって判断して生活している。そういう意味で、テレビ報道は非常に責任重大。
  • 放送時間の関係で報道しきれないことがすごく沢山あると思う。例えば災害の後、依然として進まない復興、それが今どうなっているかということを知りたいと思っても、次々に新しい事件が起きるため、そっちに流されていく。その辺りの視聴者の声をどう拾ってどう消化していくかということも課題として考えて欲しい。
  • 「あれは今、どうなっているのか」というのは「検証」。テレビ報道は、今回の参議院選挙や都知事選挙も含め、あらゆるものに対し、どこかで検証作業を進めてもらいたい。視聴者は何を検証して欲しいと思っているのか、あるいは放送局として何を検証しなければならないと考えるのかが肝要。
  • 報道におけるタブー、メディアタブーという言葉がある。典型が桜タブーで、警察のことはあまり言わないというもの。他にも核タブーや芸能プロダクションタブーがあると言われる。最近、ある芸人とフリーアナウンサーが結婚するとか、妊娠しているとかが大きくスポーツ紙に出たが、テレビ全局はスルーしたように思う。テレビメディアが操作されているようで気持ち悪く感じた。
  • テレビというのは戦後生まれのメディア。前の戦争の時に、当時のメディアが結果的に果たした役割があり、そういうことへの反省から、戦後生まれの戦争を経験していないテレビの報道のあり方として公正とか中立ということが望まれる。アメリカ大統領選挙でトランプ候補が出てくる時代だが、色々考えながら取り組んでいただきたい。
  • ニュース番組の面白さが減ってきた、あるいはキャスターの個性の問題、選挙に関する放送時間の減少等の検証が重要になってくるのは、やはりテレビ報道の萎縮が問題だから。報道現場は「萎縮していない」と言うが、圧力すら認められないというような圧力のあり方は歴史の中で沢山あるので、常に監視しながら議論していきたい。

番組制作側から

  • 政権や与党の対応を受けて萎縮していないかという点について、これは「全く萎縮していない」と明快に申し上げたい。萎縮するようでは、こういう仕事をやっている意味がない。私どもは、色々な方法を使って時の権力を監視しなければならないし、自己反省も常にしている。その自己反省が過ぎた部分があって、ひょっとしたら萎縮しているように見えるのかも知れないとは思うが。
  • 選挙の放送時間が少なくなっているのではないかという指摘については、確かに少し思うところもあるが、これが萎縮なのかというのは今すぐには返答できない。ただ以前、テレビポリティクス(テレビを意識した政治)等という言葉が言われた時代があった。ワイドショー等が政治や政治家を面白く扱っていた。その反省が、ひょっとしたらその数字に現れているのかも知れないと少し思う。
  • 高市早苗総務大臣の発言は、放送法4条1項にある「政治的に公平である」ということに関するものだったが、同じ放送法1条には、そもそも放送法あるいは放送というのは、「健全な民主主義の発達に資する」と書かれている。メディアの役割は、健全な民主主義社会を作るためのものだと思ってやっている。
  • ディーセンシー(品位)については、いつも注意していること。熊本地震に関して言うと、発災2時間後には大阪から取材に行ったが、「とにかく自己完結型で行け。行った先で迷惑を絶対かけるな。水、食料、ガソリン等は必ず持って行け」と言った。災害はいつ起きるかわからず、そういったものは社内に備蓄してある。さらに被災者は限界状況にあるので、彼らの心に寄り添った行動を心がけ、具体的には、ベチャベチャしゃべったり、タバコを吸ったり、地べたに座ったり、そういうことは決してしないというようにやっている。

以上