第587回番組審議会は7月13日(金)に開かれました。出席委員と当社出席者は以下の方々でした。
〔委員〕
|
〔当社側〕 渡辺 克信 会長、脇阪 聰史 社長、 和田 省一 専務取締役、田仲 拓二 常務取締役、 大塚 義文 取締役、松田 安啓 編成局長、 山本 泰弘 広報局長、 高木 伯之 報道番組担当部長、 木戸 崇之 報道係主任(ディレクター)、 座波 貴紀 映像係主任(カメラマン)、 戸石 伸泰 事務局長、野条 清 事務局員、 北本 恭代 事務局員 |
審議課題
テレメンタリー2012「天下人が恐れた大地震」
<事前視聴 6月16日(土) 深夜1時30分~2時放送>
番組の良かった点
- ラストに寒川旭博士が話した「文明が進化すると地震の被害も克服されると誤解されている。文明の進歩に従って被害が大きくなっていく」というコメントに尽きると思う。本当に良い番組だと思った。
- 何よりも番組の作りとしてCGとアニメを使ったのが良かった。歴史をアニメで語るのは、子どももとっつきやすいと思う。アニメで歴史を語るテレビ番組がもっとあっても良い。
- 活断層上だけでなく断層が崩壊していく延長線上で強い揺れが生じる指向性効果を説明するCG映像は非常にわかりやすかった。断層の延長線上も被災の可能性があるという警鐘になっていたのではないか。
- 今回、研究結果をCGとアニメを使って映像化し、一般視聴者にとってわかりやすく説明したのは、テレビならではの作業で、テレビでなければできない仕事。この番組はそこだけでも大きく評価できると思う。
- 着眼点や仮説の独創性は、番組に登場する各研究者の業績に負うもので、番組そのものが新説を呈示しているわけではないが、最新の専門的な知見を、CGを使ってわかりやすく伝えたいという制作者の意志は充分に感じることができる。
- 文化財担当がいるのは非常に頼もしい存在だなと思う。古墳なども多い土地柄、継続的に専門知識を蓄積していくのは放送局の財産。
- 古文書を紐解いて、その文章をたどりながら研究者の意見を聞いて番組を作っていく。この手法はユニークで良い。なるほどと思う。
- 歴史というのは現代と過去をどうやって対話させるか、対話させ続けるかという学問。そういう意味では、阪神淡路大震災から400年前の伏見地震の原因がわかったことを紹介し、阪神淡路大震災がまた記憶に戻ってきたということでは、減災の目的を達していたのではないか。
- ドキュメンタリーというよりも、私たちに災害への備えを喚起する教養番組、歴史を通じて未来を考えさせてくれる科学番組として、おおいに意義のある作品。 阪神淡路大地震記念日や「防災の日」などに、繰り返し再放送するに値する内容であると思う。
- 地震について、その知見を広め考えることが必要。メディアはそういう社会的使命を担っている。だから去年の「古文書が語る巨大津波」という番組から今年にかけて、こういうテーマを取り上げたこと自体を大きく評価したい。
- 今回、西山昭仁博士に取材していたが、人文科学系の人が入っているのがすごいと思った。自然科学が絶対ではなく、人文科学に寄り添わせて、400年というタイムスパンを考えさせた。そして阪神淡路大震災と伏見地震を関連させた。人文科学系、社会科学系、自然科学系を対話させるのがメディアの役割かと思う。
番組の課題
- 「文明の進歩でむしろ被害が拡大する」という寒川博士の言葉は一番重要だが、番組の文脈に全然はまらない。「天下人が恐れた巨大地震」とどういう関係があるのだろう。今回は、単に秀吉が自分の権力を見せつけるために安普請の城をつくっただけの話になって、その後、思わせぶりに原発が映る。しかし詳しいコメントはなく、現代の私たちが何を教訓にしたら良いのかというメッセージ性が非常に弱い。
- 時間内におさまらずかなりこぼれていた部分があったのではないか。興味深いものがたくさんあったが、全体的に何となく焦点がぼけているのではないかという感じがした。
- 要らないのではないかというエピソードが多々あった。例えば、秀吉が逃げる時に女装した話、伏見は不死身に通じるという話など。歌舞伎の「地震加藤」は面白いが、これも番組の流れからいうと要らなかった。
- 歴史を伝えたかったのか、減災や地震の警鐘番組でありたかったのか、両方欲張ったために、どっちつかずになってしまったのではないか。
- テレメンタリーという枠組みではない演出で見たかった。色々な材料、例えばアニメもCGもあったが、それが数十秒単位で代わる代わる出てくるようなめまぐるしい演出は、ちょっと合わなかったと思った。
- 冒頭で伏見の人に「伏見地震を知っているか?」と訊くと「よく知らない」という答えが多いのに、歌舞伎の「地震加藤」の話はよく知られている。矛盾しているように思ってしまう。
- ナレーションで二つ気になった。断層を紹介するシーンで「右に3メートルずれている」というコメントがあったが、その「右」がわからない。ラストの「地震の活動期、じっと動き出す時を待っている」というのも、誰が何を待っていて、私たちは教訓として何をすれば良いのか全くわからない。
番組制作側から
- テレビが地震について何かをいうと、「ではどうしたら良いのか?」といわれるが、私たちが軽々に答えを出せない。地震学者が議論を続けても学説はまとまらない。これまでテレビは「わからないことは放送したらまずい」と自主規制してきた。しかし今回、東日本大震災が発生した後になって、一部の学者が千年前の地震がもうすぐ来ることを知っていたことがわかった。それを受け、私たちがやるべきことは、わからなくても良いから、実はこういうことらしいということだけでも伝えることだと思った。そして「では、どうしたら良いのか?」と問われたら、「それは私たちにもわからない」と逆に勇気を持っていいたい。
- カメラマンとしては、相手が歴史だということで、撮る対象が全く違い、頭を悩ませた。古文書であったり、絵画であったり、伏見の指月城だったと思われる場所であったり。また本音をいえば、CG・アニメに食われる部分は口惜しかった。でもやっぱり伝えられないものは、その力を借りるしかない。そういう現場でのせめぎあいはあったが、目的は一つだったので、ディレクターと互いにアイデアを出しながら新しいドキュメンタリーの形を勉強させてもらった。
以上